ちゃんとしなさい
子供の頃によく言われました。
「ちゃんとしなさい」
大人になってからも自分にたまに言い聞かせることがありました。
「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃん」てなんなのでしょうか。
子供の頃なら、ふざけないできちんとすることが「ちゃんとする」ことだと思うのですが、大人としては「ちゃんと」のレベルって人それぞれで、とても曖昧です。
ある人にとってはちゃんとしてても、別の人にとっては「ちゃんとレベル」の足元にも及んでないこともあるのです。
それこそ育った環境、性格、得意不得意など、その人の個性で「ちゃんと」具合が変わるのではないでしょうか。
「ちゃんと」の目安がよくわからないのに私たちはよく今までちゃんとしてきたものです。
よく考えるとすごいです。
「ちゃんと」ののろい?
私はちゃんとするのが苦痛です。
私にとっては自分ではないことを無理にすると言うイメージが強いんです。
若い頃からずっと、ちゃんとしなきゃと頑張ってきました。
そして30代前半に、謎にちゃんとしつづけたせいか心も体も疲れ果てて、アメリカでちゃんとせずにバイタルチャージをしました。
約10年が経ち、すっかり元気になり、そして以前にも増し図々しく生まれ変わって帰国すると、消え失せたはずの「ちゃんとする」があっという間に蘇ってきたんです。
久々の日本で働き始めて、全然合わない職場のヘンテコな雰囲気に少しでも合うように、
「ちゃんとしなきゃ」って思ってもいないのに言い始めました。
人生2度目のちゃんと期です。
なんとなくそう言うことで、職場に馴染めるような気がしたんです。
でもいえば言うほど、思えば思うほど、私の言葉ではないことが自分の中で明確になっていきました。
そしてちゃんとしないのが普通なところで働きたいと強く思うようになりました。
そして辞めたんです。
あれからまる3ヶ月経ちましたが、謎のちゃんとすることから解放された現在は本当に幸せです。
ちゃんとしないことでわかること
ちゃんとの意味が曖昧なら、ちゃんとすることに重きをおいてもあまり意味はないですよね。
もし自分がこれでいいのかわからない、なんて思っている方がいたら、ぜひちゃんとすることをやめてみてください。
あなたにとってのちゃんとするってなんですか?
今私が思う「ちゃんとしてる」は、ちゃんと毎日会社で仕事をして、ちゃんとたくさん貯蓄して、ちゃんと家族を作り、ちゃんと規則正しい生活をする。
ちゃんとなんでもこなせて、ちゃんとした大人でいること。
そんな感じでしょうか。
どれもあまり興味がありません。
私ののぞむ私らしい生活は、どうやらちゃんとしてない中にありそうです。
私は今、ちゃんとしてない真っ只中なのですが、とても楽です。
私が思うちゃんとしない生活とは、ありのままの自分でいられる時間です。
こんなに幸せなのに、ちゃんとしないことで自分自身に罪悪感を植えつけていたなんて。
新しく風の時代という、自由が強調される時代の到来です。
ちゃんとしないことが肯定しても良さそうな時代が来るなんて。
とても嬉しくて、ちゃんとしないようにちゃんとしたくなった2021年のお正月でした。