右腕激痛事件ふたたび
ここ1ヶ月、クラウドソーシングでライティングに挑戦しました。
場所を選ばずできることや、いつかスラスラ書けるようになりたい!という希望を胸にはじめたものの、つい先週、からだからの緊急事態宣言が発令されたため、あっさりやめることにしました。
ライティングの仕事を始めてから、徐々に現れた右肩の付け根の痛みと右手の痺れが、1週間ほど前に激痛となり、
「またこころが望んでない方にがんばってしまった〜」
と反省。
この体の痛みで知らせられるパターン、多いんです。
興味があるからはじめてるのに。
でもそれは心ではなく、頭で考えて沸いた興味かもしれません。
しばらくするとどこか無理して、何かに苦しくなって体の痛みが出てくる。
せっかくはじめたからもうちょっとがんばろうと、痛みをがまんしてやり続けている。
そのうちに、楽しんで始めたと思ってたものが、実は苦痛のタネだった!と体の不調によって知ることになるんです。
痛みはまさにエゴが選んでるよーというおしらせですね。
激痛の由来? ライティング
今回と同じ右肩の痛みと痺れをはじめて体験したのはアメリカの学生時代でした。
ライティングをしている状況が同じだったのでわかりやすいですね。
カレッジのクラスはとても大変だけどとても楽しく、私の人生に大きな影響を与えてくれた貴重な時間でもありました。
でも問題は最後に受けた文学のクラスです。
週に一度の夜集中クラスだったせいか、私以外はネイティブしかおらず、宿題にしても授業にしても何ひとつついていけずにストレスだけで1セメスターすごしました。
苦手なことをできるように頑張る。
もっと読み書きできるようになりたい。
数をこなせばらくになるはず。
こんなことをおもいながら過ごした結果、セメスターが終わる頃には、怪我かと思うほどの右肩から右腕全体に広がる激痛で、呼吸さえむずかしくなるほど。
1週間くらい眠れず、その後徐々に症状は改善したものの、それ以来今でも指先の感覚が鈍ったままです。
今回はここまでの痛みではなかったものの、ライティングのプロセスが当時のストレスとどこか似たものがあったのか、同じ痛みへと発展したみたいです。
今回の痛みでは、「すぐにギブアップする」ということを決意。
痛みが一気に増したところでその日は作業を中止し、1時間ほどヨガと瞑想に徹しました。
「作業中のこの記事を提出したらもうやめよう」
って決めたら、驚くほどのスピードで痛みがひいていきました。
こんなにわかりやすいとは。
エゴの選択にも気づきにくく、なんでも興味を持ってしまうわたし。
痛みを感じる前に気づけるように、もっともっと心の声に集中してあげよう。
時代の変遷のこの時期だからこその気づき方なのかもしれません。
エゴの声か心の声か知る方法
スピリチュアルなことを学んでいる時はわかっている気になっているのに、現実の生活ではすぐ忘れてしまうんです。
よく、心の声に従うには「ワクワクすることを選ぶ」ということが言われているのですが、エセワクワク的な好奇心が強めな私は、心と思考の声がミックスしがちなので気をつけないといけません。
この心と思考の大きな違いは、自分がリラックスしているときに心からやりたいと思うことか。ということ。
心の声を聞き分けるためにも、ふだんから自分のノーマルポジションや、リラックス状態になっている時の自分を知ることも必要ですね。
もっともっと自分にフォーカスしてあげましょう。
みなさんも痛みや心の声に注目してあげてくださいね。